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▼ヨシオ、いってらっしゃい!
引退試合後のヨシオインタビューです。
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本当にお疲れ様でした。


ありがとうございます。

SC鳥取に入ってから3年、いろいろなことがあったと思いますが、1番の思い出は何ですか?

1番の思い出は、遠征に行く途中でバスが壊れたことです(笑)。どこに行くときだったかな?あんまり詳しくは覚えていないんですけど、すごく真っ暗なところで止まって「大丈夫かなぁ〜」って(笑)。高速のSAでトレーニングしました。

米子での生活はどうでしたか?

1年1年慣れてきて、仲良くなった友達もできて、バカやれる友達もできて、とても面白かったです。

今回、チームを去ることに決めたのは?

3年目の途中から、う〜ん・・2年目の終わりぐらいから少しずつ考えてきていたんですけど。3年目の5月とか6月とかの早い段階で、最後の年だと自分の中で決めていました。

やり残したことはない?

3年目のシーズンはもっとサッカーをやりたかったです。ケガとかがあったし、万全の体調でサッカーがやりたかったなっていうのがあります。でも、そこまでやれなかったのも自分の問題なんで、そういうことは考えずに頑張っていこうと思います。

選手としては引退ということになるの?

そうですね。隙あらば、またやろうかなとは思ってるんですけど(笑)。

今後の予定は?

中国に留学します。期間は・・自分が納得するまでは帰ってこないと思います、自分の性格的にね(笑)。

また新たなる故郷を増やしに(笑)?

はい、そうですね(笑)。頑張ります。

では、今日この場に来ることのできなかったサポーターの方もいますので、最後にサポーターに向けてメッセージをお願いします。

3年間、いろんなところで、いろんなサポーターの方に出会うことができ、「いてもらえた」というのが本当に心強かったです。本当にありがとうございました。

また遊びに・・帰っておいでね。

はい、また(笑)。ありがとうございました。

写真 1年目、夢に希望に燃え、米子にやってきたヨシオ。北海道からやってきた、まだあどけなさの残る男の子がピッチの上では司令塔としてチームを引っ張り、苦しいシーズンを乗り越えた。2年目のシーズン初め、決意を語る会で「今年は鳥取県民として頑張ります」と語り、サポーターから拍手が起きた。3年目のシーズンはケガに苦しみ、JFLのピッチに立ったのは1度だけとなってしまったが、県外からやってきた選手達の良き相談相手としてチームを支えてくれた。
 SC鳥取のユニフォームを着てピッチに立つヨシオにはもう会えないのだと思うと寂しくて仕方がないが、最初の年、北海道から米子にやってきたときの思いを持って、彼はまた新たなゴールを目指すのだろう。笑顔で送り出したい。

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