●SC鳥取のあゆみ
SC鳥取が歩んできたこれまでの道のりをご紹介します。
2004 ホームHondaFC戦での勝利

“われらSC鳥取の挑戦”

SC鳥取は、1983年鳥取県内の教職員で構成された『鳥取教員団』がその歴史のスタート。今現在も県内でサッカーの指導者的立場で活躍されている先生たちの若かりし頃、「鳥取県を代表して全国相手に戦う」チームとして産声をあげました。その頃の活躍の舞台は国民体育大会。1986年の山梨国体では『鳥取教員団』が主力となって活躍し見事優勝。その当時大きな話題となりました。

その後の1989年、教員に限らず開かれたチームとなるべく名称を『SC鳥取』と変更。その名称には「鳥取県を代表して全国相手に戦う」「県内選手の力を合わせて全国に立ち向かう」という理念が受け継がれ、設立当初からの活動拠点米子市の在住メンバーを中心としつつも、中部・東部からも好選手が集まり、切磋琢磨をつづけました。

1990年代は国体優勝メンバーが加齢とともに選手から指導者へと立場を替え、チーム戦力がダウン。しばらく低迷しますが、2000年中国リーグ、OBの指導を受けた地元選手達が大活躍。中国地区の強豪実業団チームを次々と撃破し山陰勢として初優勝。その勢いを駆って臨んだJFL日本フットボールリーグ参入決定戦でも全国の強豪実業団チームを連破し、見事JFL昇格権利を獲得しました。しかしこの快挙の影でチームには数千万円にのぼる年間活動資金問題が浮上。メンバーによる討議の末、「鳥取県を代表して全国相手に戦う」理念の元、JFLの舞台に挑戦することが決定され、幅広く地域の支援を獲得するべく「地域に根ざし愛されるクラブチーム」という新たな理念が加えられました。

2001年JFL初年度の活動は試合成績では最下位ながらNPO法人やまつみスポーツクラブの運営サポートを先導に、物心両面の幅広い支援が地域市民・地元企業・自治体などから寄せられ、数字としても観客動員数第2位となるなど、必死となったチーム活動に大きな反響が得られたと同時に、全国的にも話題を呼び、「地域発全国へ」の大きなうねりが産み出されました。

入替降格制度が導入され、早くから成績面が危惧された2002年。JFL残留争いが話題となった1年で、最終的に18チーム中13位の成績を収め、名実共に全国レベルのチーム活動であることを証明しました。

新加入選手が大幅に入団、フレッシュな顔ぶれから「新生SC鳥取」と呼ばれ「GAINARE(ガイナーレ)」の愛称もついた2003年。チームは途中5連勝7試合負けなしの快進撃を演じ、一時は6位につけチーム力UPを証明。最終的には10位だったものの残留争いを演じた前年から大きな飛躍を見せました。

結果的に徳島ヴォルティス・ザスパ草津のJクラブ昇格が決定した2004年。JFLは史上最高となる観客動員数を記録。対外的に注目度が上がる中、各チームの強化体制もレベルアップ。シビアな競争の度合いが増したJFLで、SC鳥取は9連敗を喫するなど常に残留争い。苦しい苦しいシーズンを送り、最終的には終盤のホームでの連勝で残留を果たしたものの、更なるチーム力や運営組織の強化の必要性を痛感させられたシーズンとなりました 。

2005年は16名の新加入選手・吉川新監督のチーム体制でスタート。シーズン目標『JFL8位』『天皇杯3回戦突破』『JFL総観客数リーグ1位』を掲げ、JFL昇格後最高のリーグ6連勝を飾る活躍もあったが、いずれの目標も達成することはできなかった。しかし試合だけでなく、やまつみスポーツクラブとの協働による青少年年育成プログラム『復活公園遊び』を通して子供達や地域との触れ合いの機会が増え、地域とのつながりという意味で大きな自信を得ました。

 1983年の創立から2005年シーズン終了まで、「鳥取県を代表して全国相手に戦う」「地域に根ざし愛されるクラブチーム」の理念のもと、地域の方々と共に『われらSC鳥取の挑戦』として戦い続けてきましたが、JFLにおける5年間の活動が広く県民の関心事となったことを踏まえ、2005年12月、チームの活動目的をできうる限り県民の利益に寄与する内容に変更する必要・使命があると判断し、以下の通り変更しました。

〔新活動目的〕
県民に、夢と希望と感動と一体感を提供する。

〔目的を達成するための事業〕
■青少年育成プログラム『復活公園遊び』の全県範囲での開催
現在NPO法人やまつみスポーツクラブ主導により行われている『復活公園遊び』を、SC鳥取関連事業として全県範囲開催に取り組み、青少年の健全育成を図る。(関連ページはこちら
■Jリーグ加盟による『夢の舞台』創出とスペクタクルな空間提供
平成20年度の日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)参入を果たし、県民に対して、シンボル且つアイドル作用を内包するサッカー組織を創出する。
■東部・中部・西部のそれぞれに活動拠点を確保し、県民の一体感醸成に努める。
東部・中部・西部のそれぞれに下部組織を整備し、全県地区の共同作業として次世代育成を図る。


 2006年シーズンは、2008年Jリーグ参入に向けた準備の1年目。新監督には2005年選手として活躍した木下桂氏を迎え、ヴィッセル神戸(当時JFL)選手時代のJリーグ参入争いでの経験とその後のアメリカでのプロ選手/コーチの経験を生かした采配に期待がかかります。選手は2005年シーズンの主力がほぼ全員残り、その選手たちのポジションを脅かす競争相手としてJリーグ経験者を含め5人の新加入選手が加わりました。大きな決断を経て夢に向かって取り組む覚悟を決めた選手スタッフの活躍にご期待ください!
【SC鳥取活動記録:所属リーグ】

1983 鳥取県サッカーリーグ2部 4勝 1位(5チーム)
1984 鳥取県サッカーリーグ 3勝2分 3位(6チーム)
1985 鳥取県サッカーリーグ 5勝 1位(6チーム)
1986 鳥取県サッカーリーグ 7勝1敗 1位(5チーム)
1987 中国サッカーリーグ 2勝9敗1分 6位(7チーム)
1988 中国サッカーリーグ 5勝8敗3分 7位(9チーム)
1989 鳥取県サッカーリーグ 9勝1敗 1位(6チーム)
1990 鳥取県サッカーリーグ 6勝2分 2位(6チーム)
1991 中国サッカーリーグ 2勝11敗2分 8位(8チーム)
1992 中国サッカーリーグ 4勝6敗4分 5位(8チーム)
1993 中国サッカーリーグ 3勝8敗3分 7位(8チーム)
1994 中国サッカーリーグ 4勝6敗4分 7位(8チーム)
1995 鳥取県サッカーリーグ 6勝2敗 1位(6チーム)
1996 鳥取県サッカーリーグ 7勝1敗2分 1位(6チーム)
1997 鳥取県サッカーリーグ 10勝 1位(6チーム)
1998 中国サッカーリーグ 2勝12敗 8位(8チーム)
1999 中国サッカーリーグ 5勝9敗 6位(8チーム)
2000 中国サッカーリーグ 11勝3敗 1位( 8チーム)
2001 日本フットボールリーグ 2勝26敗2分 16位(16チーム)
2002 日本フットボールリーグ 4勝10敗3分 13位(18チーム)
2003 日本フットボールリーグ 10勝13敗7分 10位(16チーム)
2004 日本フットボールリーグ 5勝18敗7分 14位(16チーム)
2005 日本フットボールリーグ 9勝15敗6分 12位(16チーム)
  
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