《 水口 洋次 監督 プロフィール 》こちらへ 《 就任記者会見コメント要旨 》 昨晩(1月19日)のトレーニングで選手と始めて顔を合わせましたが、明確な高い目標を持って戦える集団になろうということを伝えました。目標は「Jリーグ参入」ですが、それを実現するために必要な成績は「優勝」もしくは「準優勝」ですので、具体的に「JFL優勝」を強く意識して毎日のトレーニングと試合に臨まなければなりません。そして、その中には常に3つの戦いが存在します。一つ目は「自分との戦い」、二つ目は「チームメイトとの戦い=競争」、三つ目は「相手との戦い」です。この全てに勝たなければなりません。 選手の特徴はまだ把握していませんが、昨年、一昨年と負け試合が減り引き分けが増えているので、チームとしての粘りは出来てきているはずです。しかし2年続けて失点が多いようですので、チームトレーニング開始後まずは守備のレベルアップに努めます。ただ、サッカーは攻守どちらか一方を整えればいいというものではありませんので、常にバランスを重視して攻守の切り替えの早さを求めていきたいと思います。 今のSC鳥取の状況は、私がかつてヤンマークラブから指導者として移籍・創部し、その後天皇杯優勝まで導いた松下電器サッカークラブ(現ガンバ大阪)と似ています。そのときと同様に、選手・スタッフとともに一丸となって戦い、かならず目標を達成しますので、地域の皆さんのご声援をよろしくお願いいたします。 |
《 2007年度 スタッフ 一覧 》 |
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氏名 |
年令 |
前所属/現職 |
監督 |
水口 洋次 |
62 |
神戸国際大学 |
ヘッドコーチ |
Witthaya Laohakul (ヴィタヤ・ラウハクン) |
52 |
Chonburi FC(タイ) |
コーチ |
畑野 伸和 |
24 |
境高校コーチ |
ドクター |
高田 尚文 |
49 |
医療法人育生会高島病院 |
フィジオセラピスト |
徳盛 大介 |
31 |
医療法人育生会高島病院 |
トレーナー |
池永 英樹 |
35 |
やまつみスポーツクラブ |
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《 Witthaya Laohakul ヘッドコーチ プロフィール 》 〔氏名〕Witthaya Laohakul(ヴィタヤ・ラオハクン) 〔生年月日〕1954年2月1日(52歳) 〔国籍〕タイ王国 〔指導資格〕アジアサッカー連盟公認A級ライセンス(2003年10月取得) 〔契約期間〕2007年2月1日から2008年1月31日(1年間) 〔コーチ歴〕 ‘88年〜’91年 松下電器産業株式会社サッカー部(JSL) ヘッドコーチ ‘92年〜’95年 パナソニックガンバ大阪(Jリーグ) ヘッドコーチ ‘96年〜’93年 Bangkok Bank FC(Prime League) 監督 ‘97年〜’93年 タイ・ナショナルチーム 監督 ‘98年〜’99年 Bangkok Metro - Politan FC 監督 ‘00年〜’93年 タイ・U−16ナショナルチーム 監督 ‘01年〜’93年 アメリカ・ネバダ大学 アシスタントコーチ ‘02年〜’03年 SRFC(シンガポール)センター オブ エクセレンス 監督 ‘04年〜’06年 Chonburi FC(Prime League) 監督 / 強化部長 〔選手歴〕 ‘75年〜’76年 Rajpracha FC(タイ) ‘75年〜’77年 タイ代表選手として52試合に出場 ‘77年〜’78年 ヤンマークラブ(日本サッカーリーグ2部) ‘79年〜’81年 ヘルタB.S.Cベルリン(ドイツ・ブンデスリーガ1部) ‘82年〜’85年 FCザールブリュッケン(ドイツ・ブンデスリーガ2部) ‘86年〜’87年 松下電器サッカー部(日本サッカーリーグ1部/2部)
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《 畑野 伸和 コーチ プロフィール 》 〔氏名〕畑野 伸和(はたの のぶかず) 〔生年月日〕1982年10月9日(24歳) 〔出身地〕鳥取県境港市 〔指導資格〕(財)日本サッカー協会公認C級ライセンス(2005年11月取得) 〔契約期間〕2007年2月1日から2008年1月31日(1年間) 〔コーチ歴〕 ‘05年〜’93年 阪南大学体育会サッカー部 コーチ ‘06年〜’93年 県立境高校 コーチ ‘06年’8月〜 SC鳥取 コーチ 〔選手歴〕 ‘95年〜’97年 境港市立第三中学校サッカー部 ‘98年〜’00年 県立境高校サッカー部 ‘01年〜’04年 阪南大学体育会サッカー部
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関連HP |
Chonburi Football Club |