|
中学3年生の昭和44年夏、境港市立第一中学校野球部(なんとキャプテンでした)は県大会の1回戦で負け、中学校の部活動はあえなく終わりました。 しかしながら秋には受験勉強などしないでいいからと、臨時陸上部員に招集され、中学駅伝の県大会に出場しました。 アンカーとして出走しましたが、区間22人中の21位と恥ずかしい成績でこれまた私の臨時陸上部生活は終わりました。 それから40年近く経過した昨年、一念発起して体力維持のためのジョギングから一歩踏み出して、アスリートとしてのランニングへの挑戦を決めました。 ちょうど1年前、第1回東京マラソンが開かれ、大きな話題と成り、私は即座に『これだ! 来年の東京マラソン完走を目指し、トレーニングしよう!』と決意しました。 昨年の2月までは月に30kmくらいの練習量でしたが、3月以降は月に60km〜100kmと練習量を増やし、秋以降は100〜120kmの走り込みを行いました。 5月には麒麟獅子マラソン(兵庫県新温泉町、10km、51分21秒)、6月にはみかた残酷マラソン(兵庫県香美町、24km+標高差600m、2時間40分3秒)、7月には北栄町すいか・ながいも健康マラソン(10km、52分32秒)、10月には蒜山高原マラソン(ハーフ、1時間58分4秒)そして11月には安来なかうみマラソン(ハーフ、1時間50分49秒)と着々と大会に参加して東京マラソン本番に備えました。 |
|
前置きはこのくらいにして、今回の目標はとにかく初のフルマラソンですから、歩かないでの完走を第1に掲げました。 第2の目標は1km6分(すなわち1時間で10km)の速度で走りきり、ゴール目標タイムを4時間15分と設定しました。 2008年2月17日、鳥取県は大雪だったようですが、東京は快晴、気温0〜8度、微風という絶好のコンディションでした。 前日は本番に備え22時過ぎに床に着きましたが、興奮していたのでしょうね、午前3時に目が覚めてしまいました。 5時半には軽くシャワーを浴び、6時から朝食を取り、出走への準備をしました。 ホテルのロビーで色々な方(北は北海道から南は沖縄まで)と記念撮影をしたあと、8時過ぎにはホテルを出発して、スタート地点へ向かいました。 さすがに3万人以上の出走者がスタート地点に集まるだけで30分以上かかります。 スタートブロックは車いす、選考会、一般参加者はAからJまでの9ブロック(Iはありません)の順に並びましたが、この状態で30分間待たされました。 そして、9時10分、石原都知事の号令のもと、いよいよ東京マラソン2008がスタートしました。 私はちょうど真ん中あたりのEブロックでしたが、スタート地点に着くのに6分31秒かかりました。 コースを簡単に説明しましょう。 新宿の東京都庁をスタートし、靖国通りを皇居へと向かいます。 日比谷(約10km)から右折して品川(約15km)で折り返し、日比谷(中間点の少し手前)再度右折して銀座4丁目を左折して浅草雷門(約28km)で折り返し、再び銀座4丁目(約34km)で左折して、ゴールの東京ビッグサイトへと向かいます。 |
|
さて私の走りはというと全国のたくさんの方々の熱烈応援で、なんとか最後まで完走できました。 前述のごとく、第1目標は完走! 第2目標はネットタイムで、6分/kmでしたので、4時間15分を切りたかったのですが、結局は4時間34分22秒(ネットタイム)でした。 括弧内に通過タイムとラップタイムを記述しながら、その間の出来事を申し述べたいと思います。 0〜5km(0時間29分54秒、29分54秒) 都庁から神楽坂手前までです。 スタート直後はまだまだ人が多く、慎重に走りました。 1時間近く寒さに耐えていましたせいか、思いのほか早くも尿意を催しましたが、我慢我慢の余裕の走りです。 5〜10km(0時間58分45秒、28分51秒) 皇居を巡り、日比谷過ぎあたりまでです。 冷えきっていた体も温まり快調の走りでした。 それでも、飛ばしすぎないように自重しながら走りました。 10〜15km(1時間29分54秒、31分09秒) 日比谷公園から品川駅方面に向かいました。 走りは順調でしたが、いよいよ尿意に耐えきれず、13km地点でトイレに入りました。 約2分のロスでしたが、とりあえず15km地点では予定通りでした。 15〜20km(1時間59分50秒、29分56秒) 品川から折り返し新橋駅前までです。 多少の迎え風でしたが、対面の遅れて走る選手たちを応援しながら、増上寺や東京タワーを見ながら楽しんで走れました。 20〜25km(2時間30分06秒、30分16秒) 銀座、日本橋を走り、人形町までです。 この区間はまさに多数の観衆にあふれ、まさに東京マラソンのハイライトの始まりですが、さすがに若干の疲れは隠せず、少しだけ遅れだしたようです。 |
|
25〜30km(3時間02分57秒、32分51秒) 浅草雷門で折り返し、両国橋までです。 浅草はめちゃくちゃ人人人であふれかえっていましたが、このあたりから若干ですが、遅れだしたのを実感しました。 でも、ここで沿道の方々や知り合いの力強い応援がありました。 30〜35km(3時間39分58秒、37分01秒) 銀座4丁目までもどり、臨海副都心への途中、築地までの5kmです。 ここからは走力の衰えをごまかすために、あらかじめ準備しておいたパフォーマンスを行いました。 『ワクチン打って、はしかをKO!』と『Hibワクチンを受けよう』です。 走り自体はもうめちゃくちゃです。 まあ、修行僧と言っても過言ではないと思います。 35〜40km(4時間17分08秒、37分11秒) 一路臨海副都心へと向かう、まさに地獄の5kmでしたが、幸いなこと東国原宮崎県知事の一団に追いつかれ、負けるもんかと抜きつ抜かれつのデッドヒート(笑い)を繰り返し、あまりタイムは落ちませんでした。 40km〜ゴール(4時間34分22秒、17分12秒) もう開き直って、タイムはどうでも良いと亡き次男と心で話しながらゴールへ向かいました。 沿道の方々には汗と思われたと思いますが、実は途中涙が止まりませんでした。 息子と再会出来た至福の時間でした! 最後はよれよれでしたが、感動のフィニッシュでした。 ありがとう、東京マラソン! |
|
まあ、そうは言っても初マラソンですので、無歩完走で、100点ですよね。 他界した次男も誉めてくれていると思います。 今後の課題としては、25km以降のペースダウンをもう少し、がんばって35kmまではイーブンペースで行けるようにしっかり練習したいと思います。 来年の東京マラソンにもぜひともチャレンジしたいですね! 今後はもう少し精進して・・・サブフォーを大きな目標に掲げたいと思います。 その1:もう少しスピードアップして、1kmを5分30秒で走る。 その2:上記のスピードで何とか35kmまで走る。 上記をクリアできれば、35km地点で3時間12分30秒です! あとの7kmあまりを45分で行ければ、何とかぎりぎりで、サブフォー達成です! まさに机上の空論、捕らぬ狸の何とかですが、これを目標にがんばります! |