いつもの夕方と同じようにスーパーでビニール袋いっぱいの買い物をして台所に入っていくと「今夜の夕食用の買い物をしちゃったよねえ・・」と言いながら姑が冷蔵庫から何やら取り出す。私は魚しか食べないおじいちゃんのために体長20センチくらいの魚をいつも買ってくる。この日はカレイ6匹。398円也。料理酒、みりん、薄口醤油、砂糖少々で煮るつもりだった。 何だろうと、姑が取り出した袋をあけてみれば、ハタハタが腐るほどとはよく言ったものでずっしりとある。
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「今日ね・・・」と姑の今日一日の嬉しそうな話が始まる。私が朝、飛び出していった時刻から、部屋の掃除をし、舅と話をし、病院の薬を数えなおし、お昼には○○を食べて、舅が昼寝したので・・・と続き、なかなかハタハタがどうして今ここにあるのか、にたどりつかないが、私は、ええ、はい、と繰り返しながら聞き役。姑は毎日こうやって戻った私にその日の出来事を話すことで記憶を確認している。 私の手はその間に米をとぎ、野菜を刻み、カレイをおろそうとしたとたん 「で、この魚は・・・」とたどり着いた。内容はこうだ。
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午後姑はゲートボールの練習に行った。その仲間の一人が午前中に境港に行き、安かったので箱でハタハタを買ったという。車に載せてから、自分の家ではとても食べ尽くせない、と気が付き、姑にわけて下さったとのこと。 「悪いねえ・・・これ何とかならないかねえ」と言いつつ、今夜食べたいという表情でにこにこしている。 この経緯によりカレイは中止。 「いいですよ、煮付けてしまいましょうか」 「うん、頼むよ、新鮮だし、きっと美味しいね」とゴキゲンな返事。そしてさっさと自室に行ってしまう。
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それからがたいへんだ、シンクに水を勢いよく流して、きれいにし、30センチ×40センチのバットを取り出し、片端からハタハタをしごしていく。 出雲弁で「おろす」は「しごす」という意味。数十年まえ学校の運動部で先輩が後輩を鍛えることを「しごく」といい、死亡事件に発展して、かなりの話題になったが、あのとき私は「死後す???」とさえその悲惨さに当て字を考えたものだ。あの「しごき」からの言葉らしい。 私は運動部に所属した経験はないけれど、この夕方はハタハタを思いっきり「しごした」 最初、一匹終わり、・・・五匹めと数えていたが、途中で孫がやってきて、「ヒエー、今夜も魚か」というから「大丈夫、他のおかずも作るわよ」と言ったら何匹めかわからなくなった。 だから取り出したこのバットには全部、入れられなかったことだけ覚えている。50匹以上はあったと思う。
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いうまでもなく、この晩は皆の前に2〜3匹のハタハタの煮付けが並び、誰もが口をきかず黙々と箸を動かし、白身の魚の味を堪能した。 「今日のハタハタ、結局何匹あったの?」と誰かが言い 姑は「私は数えなかったよ、u子さん、数えた?」もちろん、私もわからない。 おかげで主人の晩酌の量は増えた。曰く「ハタハタの身をつまんでいると何杯だったか、忘れるよ」と。ン、モウ・・・
えっ、カレイはどうなったか、ですか?夕食の片付けが終わった後、そっとしごされ、鍋に入れられました。 |