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目の前に石段が立ちはだかっている。 全部で785段あるというのだから、行く手を阻んでいるという表現が最適だ。 この石段を自分の足で上がらない限り、目的は達せない。 頭ではわかっているが、いくら上っても、終わりはまったくないように思える。 御本宮まで到達したい私にとっては、これから政権与党に復帰したいどこかに政党の代議士と同じくらいに困難に思えた。これはちょんぼしオーバーか?!
34年前の初夏、私は四国高松で自社のメインフレームダウンを前に天を仰いでいた。 といっても責任はユーザにこのマシンのオペレーション教育を行い、習得して頂ければいい範囲なのだが。肝心のマシンがダウンしては、私の仕事はいつスタートするやら、予想もつかなかった。 それまでに多くのユーザ教育をしてきたから、トラブルはつきもので、最初から泣き言を言ってギブアップということはしなくて済んでいたが、この時の状況には努力のしようがなかった。 大阪からも営業所長が最終のフライトで飛んでみえたし、もちろん東京の上司達も右往左往していた。 私は担当SEに「どうしてましょ?」とそっとたずねると 「夜になってからダンプするデータを一緒に読んでくれたら助かるよ、昼間は遊んでなさい」という返事。 「・・・」遊ぶって言われても、と思案すると高松営業所長が笑顔で 「金毘羅さんまで行ってきたら、四国は初めてでしょ」と言われた。 コトデンの愛称で知られる2輌の電車にゆられ、早速でかけた。 それ以外に時間を潰す術がなかった。
“こんぴらさん”がお宮なのかお寺なのか、よく知らずに到着し、階段をせっせと上り、本殿までいき、金毘羅さんの意味を読み、ついでに奥の院までいき、崇徳上皇の御陵にも参拝して戻った。 金毘羅さんでは「システム早期復旧」をもちろん祈った。 その晩から夜になるとユーザのオフィスに出向き、床に新聞紙を敷いて座り、当時はラインプリンタ用紙に出てくるデータやテープやカードとにらめっこしているチームに混ざりガヤガヤとデータチェックの手伝いをした。 数十時間後に復旧し、私の仕事も次の日から再開でき無事に東京に戻ることができた。
先月主人が小学校時代の同窓会で修学旅行をもう一度しようと話がまとまり、高松・屋島・金毘羅宮と旅行に出かけた。 「小学校時代の修学旅行ならお小遣いもそのレベルねえ」をふざけたことで、金毘羅さんでのシステム復旧祈願をしたことと、その御礼参りをしなかったことに気がついた。
我が家から車で2時間半、高速道路と瀬戸大橋の通行は週末格安ということで出かけた。
今回のあの石段はきつかった。 若いということがどんなにステキかと思い知った。 首タオルなど避けたいことはヤマヤマだったがなんとありがたいことだったか、杖など10年も20年も早いと思っていたけどイエイエ杖は頼りになる。 そしてようよう御本宮にたどりつき御礼と今幸福に暮らしておりますと感謝を申し上げた。 ご祭神は大物主命と崇徳上皇で農業・殖産・医薬・海上守護の神様、システムとは関係はなかったともわかった。(笑)
社殿前から眺める讃岐平野は絶景だった。
「願掛けは当分棚上げ」と思ったのに、神札授与所ではしゃあしゃあとしばらく前から入院した姑の病気平癒のお札をお土産をかねて頂いてしまっていた。
u子さん、おばあちゃんが回復したら、また石段が待ってますよ!! という私の信心深くない心の中で神様の声が響いている。
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