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“お浄め”と旗をたてた神職さんが船上から大橋川のお祓いをされた。花火があがる。 川面をつたって「ホーランエンヤ」という生の人の声が響いてくる。川の両側は人、人、人。12年ぶりに行われる日本三大船神事の始まりだ。 渡御祭を見物した。
島根県の東側に二つの湖がある。東側は中海(なかうみ)で西側は宍道湖。 この二つの湖は大橋川でつながっている。「ホーランエンヤ」は宍道湖と大橋川の約10キロで行われる。 江戸時代、松江藩は大凶作に見舞われ、殿様は祈祷を命じた。 出雲の国は神様が多い。 はて、どちらの神様にお祈りするか? と考えた官僚たちは阿太加夜神社を思い出した。この神社の名前はあだかや、と(舌をかみそうだが)読む。 松江を開いた初代の殿様・堀江吉晴公が難工事の築城に際し、阿太加夜神社での祈祷によって切り抜けた史実が根拠だ。
松江城の守り神は城山稲荷で、お城のお稲荷様にも敬意を表さねば・・ということになり、城のお稲荷様を阿太加夜神社にお運びして祈祷するスタイルをとった。 あちらこちらをバランスよく立てるのが今も昔もお役人の仕事かもしれない。
松江は水の都、渡御祭として今年は5月16日に阿太加夜神社周辺5地区の住民達が船を仕立ててお稲荷様を松江城まで迎えに行く。 20日は中日祭として川から神社まで陸地を通る行列をする。 「今年は豊作でありますように」と神様に祈願する。 24日は還御祭で阿太加夜神社から城までお送りする。
神様を迎えたり送ったりだから船は約100艘くらい繰り出す。 より気持ちよくお渡り頂くために賑々しく吹き流しやのぼり、ぼんぼりで飾った船だ。 漕ぎ手は14、5人。櫂を揃えて「ホーランエンヤ」の声に合わせて漕ぐ。 タイコを打ち鳴らし、歌舞伎役者に扮した若者の舞が船上でくりひろげられる。
川をただ通るのではなく、宍道湖大橋と松江大橋の間で3回、松江大橋と新大橋の間で3回、新大橋とくにびき大橋の間で3回の計9回ほど船団が回遊しながら各船が舞を披露する。 船団の中心には勿論、神様をお乗せした御座船が浮かび船団がしっかりお守りしている。 蛇足だが、救護担当の舟や報道関係の舟も一緒に船団の中だ。
昨年秋から松江市内には「ホーランエンヤ」の大きな文字と歌舞伎役者の顔の絵が描かれた看板が立てられていた。 ありゃなんなの?と聞いてみると12年ぶりに行われる祭事だとのこと。 今年の4月中旬から地元の新聞やテレビで練習風景や祭りのいわれが報道されて、ワクワク感が高まった。
踊り手の乗る船を櫂伝馬船(かいでんません)といい、中海に面した5つの地区から出される。 踊り手は10代、20代の若者だ。 船首に置かれた台上には剣櫂を持った立て役、船尾には采(ざい)をもった女形が舞う。 豪華けんらんという言葉がぴったり。祭り当日まで厳しい練習を重ねたそうだ。
少子化で若い人がいない、12年に一度の祭りだから、同じ人が二度は舞手にはなれない、という中、各地域はこの祭りの伝統を絶やすなとプライドをもって支えている。 ただ、少しずつ変化がある。 高専の美術部の生徒が船腹の模様のデザインをしてもらったり、地区外の若い人をスカウトして踊り手にしたり。
3日間で36万人以上の人出だったという。 2年近くも前から松江市も島根県も観光客誘致に大きな努力をし、河畔に特別観覧席を作り、松江宍道湖温泉と玉造温泉の宿泊をパックにして売り出し、完売だったとか。 見物を終えて昼食をとろうと店を探したが、どこも行列だった。 松江にどうしてこれほど人がいるの?と冗談が出るほど。
ホーランエンヤとは「宝来遠弥」の略。 リーマンショックも100年に一度の不景気も新型インフルエンザも吹き飛ばされることを松江から祈願した9日間だったと思う。
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