二十歳の頃、現在のJRがまだ国鉄で「ディスカバージャパン」というキャンペーンがありました。 学生だった私は友人たちが学割を使って旅行に行く姿を見ながら駅に掲げられるポスターを見て「いつか行ってみたいのは青海島(おうみじま)」と思いました。
アルバイトをしながら学費をひねり出していた私に旅行は夢のまた夢でした。
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子育てや仕事に追われ、すっかり忘れていた青海島でした。 小学生の孫がしばらく前に国語の宿題の本読みを聞いてほしいというので聞いていたら「私と小鳥と鈴と」と題名、そして作者名“金子みすゞ”、そして「〜〜鈴と小鳥とそれから私、みんなちがって、みんないい〜〜」と読みあげました。
二十歳の私がありありとよみがえりました。 この詩は、26歳で自ら旅立っていった金子みすゞの詩。 彼女の出身地は青海島が目の前にある長門市仙崎です。
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出かけました。
山口県長門市仙崎は安来から車で6時間半。 仙崎は本州の西の端。青海島を目の前にした日本海岸にある港町です。 周辺は北長門国定公園に指定されていて美しい島々と岬が連なっています。 島根県にあるような鄙びた小さい港町かと思いましたが、予想以上に大規模で明るい感じの町でした。 仙崎には「金子みすゞ記念館」が建設され平日にもかかわらず多くの観光客が見学していました。
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金子みすゞは詩人西条八十から「若き童謡詩人の中の巨星」と絶賛された大正時代後期の詩人。 記念館には直筆の展示や実際に創作したときの部屋や机も復元されていました。 500編以上の詩を残した童謡詩人。 プライベートには決して幸福ではなかったようです。 結婚し子供にも恵まれましたが、夫の裏切りや詩作への無理解など、生きるものすべてに優しいまなざしを向けた彼女にはあまりに理不尽な環境だったと推察されます。
『金子みすゞ ふたたび』(今野勉著・小学館)という書籍の中で著者は「なぜ、自らの命を絶ってしまったか?」 「子供がいたのに、子供を生き甲斐に命を全うすることはできなかったのか?」と自然な質問を投げかけています。
記念館を見学した後、海辺に立つみすゞの像まで歩きました。 仙崎湾に向かって立つ胸像とともに「大漁」の詩碑もありました。
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朝焼小焼だ 大漁だ ・・・・ 濱は祭りの やうだけど 海のなかでは 何萬の鰯のとむらひ するだろう
海に面した碑に刻印する詩としてはこの「大漁」がふさわしいと感じながら、代表作の「私と小鳥と鈴と」の最後の行「みんなちがって みんないい」を私は思い出しました。 彼女は、私も違っていいのだ、と詩に織り込んで逝ったと納得でき、短くとも精一杯に生きた彼女の像に思わず微笑みかけました。
私と小鳥と鈴と 金子みすゞ 私が両手をひろげても お空は・・・飛べないが 飛べる小鳥は私のやうに 地面を・・・・走れない 私がからだをゆすっても ・・・・音はでないけど あの鳴る鈴は私のように ・・・唄は知らないよ 鈴と、小鳥と、それから私 みんなちがって、みんないい。
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