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u子の山陰便り 源氏物語錦織絵巻
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▲u子の山陰便り |
今年は源氏物語が公になって1000年だそうで
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今年は源氏物語が公になって1000年だそうでやたらに“源氏物語千年紀”という文字が目に入ってきます。 物語の中で光源氏は明石までは行ったけれど出雲松江までやってきたという記述は残念ながらありません。 当地方には光源氏を惑わせるような美しい姫君はいなかったのでしょうか。 それとも紫式部の地図には出雲地方はなかったのでしょうか。 6月に京都でネット仲間が集合して親睦を深めるオフ会があり誘って下さったので出かけることにしました。 せっかく京都まで行くのだから“源氏物語千年紀”にかかわるようなイベントがあったらいいなと思っていて、源氏物語錦織絵巻公開の情報を見つけました。
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源氏物語錦織絵巻というのは西陣織で制作された織物の絵巻。 源氏物語絵巻の作品は藤原隆能が作った絵巻物といったなら教科書などで見た人も多いことでしょう。 源氏物語は平安時代の国風文化を代表する文学、絵巻はその後の院政時代に作られたもので、「引目鉤鼻」の顔を書き方で、「吹抜屋台」とう名で屋根を取り払って内部を空中から見た感じで描く手法をとっている、とか何とか学びませんでしたか? 現存するこの絵巻物の絵は損傷も激しく色もところどころ褪せたり剥がれたりしています。 今回私が見たいと思った絵巻は、すでにある絵巻物をまねするのではなく、画家の力を借りて復元するように絵に描いて貰いそれを元にして西陣織で表現するというもの。 西陣織の大家である山口伊太郎氏が企画され見事に全4巻を作ったということでした。
実は2004年冬に私が「美しいキモノ」という名の着物の雑誌の記事でこの試みは読んでおり、その読後感想は、西陣織は日本の伝統工芸で帯や織物がたくさん作られているのでその一環の事業だろうと思うにとどまりました。 しかし今回でかけてみて、単純に西陣織で制作したきらびやかな作品と片付けられないものだとわかりました。 ところは京都今出川の相国寺承天閣美術館。特に第4巻目は幅33センチ全部の長さは10メートルと言われた作品。 その規模もさることながら大変精緻で美しい。 平安時代の日本人は月が大好きらしく、光源氏が女性の元に通うのは夕暮れから夜、待っている女性も座って待って“居待ち月”、立って待って“立ち待ち月”、寝て待って“寝待ち月”というように、和歌には太陽より頻繁に月が詠まれましたが、その月を表現するのに、銀糸を使うのではなくプラチナ箔を使い鈍く厚みのある月を織り、描いていました。 夏の薄ものの着物の表現も袖がすけていて腕が見えるように織られていました。 その腕もまた美しい。 じっと見ていればぞくっとするような凄味さえ感じられます。1000年を経た現在のように、暑さにはTシャツ短パンで過ごすのとはわけが違います。 自然の風を屋敷の中に通し、水音に涼を求め、目にも涼しげな絽や紗の絹を着て過ごす上流社会の平安時代に入っていけるような感じでした。
制作者の山口伊太郎氏は70歳(昭和45年)の時に今後の和服や帯のいく末を考え、織りの技術を職人に伝え多くの人々に西陣織の素晴らしさを理解してほしいと願って源氏物語絵巻を織物で作ろうと決めたとのこと。 職人10人とプロジェクトを立ち上げ、寝てもさめても、この制作に心を燃やして制作し続けたということです。 30年余をかけて完成にこぎつけ、105歳のちょうど源氏物語千年紀の今年この世を去られました。 全4巻のうち3巻までは起こした絵を手本にアナログで細かなメッシュをのせ、絹糸をそめ、ジャガード織り機で作っていきましたが、コンピュータを使えば、作業が標準化でき、工程も記録できることから、最高齢の彼がしぶる彼より若い職人を説得し導入を決め、作業スピードが上がったことなども知りました。 すべては2つずつ作られ、1、2巻の一つずつはフランスにも寄贈され、世界に向けて日本の西陣織をアピールするというその積極的な姿勢にも心打たれました。
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年齢を重ねるとは何なのでしょうか。 守旧派に転じる、冒険をしなくなる、枯れる、そして一言居士になり、周囲の迷惑をかえりみない・・・こんなイメージが蔓延する中で、意志の強さや情熱や進取の技術を怖れることなく取り入れる彼の素晴らしさにただ頭を下げて戻りました。 |
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